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◎夭折の詩人 本県は多くの詩人を輩出してきたので、いつからか「詩の国」と呼ばれるようになった。たしかに、湯浅半月から始まり、萩原朔太郎、萩原恭次郎、山村暮鳥、大手拓次、高橋元吉、さらに現在も活躍中の伊藤信吉らをはじめとして、詩史を彩る詩人は枚挙にいとまがないほどである。 しかし、傑出した詩人たちの背後で、同じように詩を愛し、自らが生きるよすがとして詩を書きながら、社会や詩壇に認められる機会も得られないまま逝ってしまった、夭折(ようせつ)の詩人も少なくない。 詩の国・群馬を、いちばん深いところで支えていたのは、あるいはそれらの詩人たちであったと言えるかもしれない。それらの人たちは、もっと長く生きてさえいれば、高く評価される機会があったかもしれない。自らの詩集を一度も手にすることなく逝ってしまった人もあり、遺稿詩集として知己の手で出版された詩集が残されている人もいる。 しかし、それらは少数の詩集が身近な人たちに手渡されているだけで、社会的にはほとんど知られていないのが現状である。傑出した詩人とともに、それらの詩人にもう一度目を向け、多くの人に作品を手渡してやりたい、そんな思いから群馬の詩人シリーズの発刊を、ボランティア活動として思い立ち、刊行に踏み切った。 とりあえず、昭和の夭折詩人の中から、第一期として長澤延子、中沢清、富岡啓二、吉本孝一、島田利夫、関口忠の六冊の詩集を出したいと考えている。 長澤延子のこのシリーズの詩集『海』は、既に刊行されて、理解ある人たちに迎え入れられている。長澤は高校を卒業した三カ月後、十七歳で自ら死を選んだが、約百三十編の詩のほか、短歌と大学ノート二冊の手記が残されていた。戦後の大きな混乱期にあって、たぐいまれな才能が自ら死を選ばざるを得なかったのは、時代の犠牲という見方も成り立つ。 昭和四十年に出版された遺稿集『海』は、大きな反響を呼び、その後東京の出版社からもいくつかの出版が行われ、埴谷雄高、松永伍一、大島渚らが、長澤に触れた文を書き、月刊商業詩誌が特集を組んだりした。 中沢清は、病気治療中に心臓まひで二十二年の生涯を終えたが、故人の意志によって、遺骨は尾瀬湖畔、大江湿原丘陵の平野家墓地の一隅に埋められた。多くの詩や評論、絵、デッサンが残されていたが、恩師や友人の手で遺稿詩集『みしらぬ友』として出版された。 吉本孝一は戦争で、富岡啓二と関口忠は結核で、島田利夫は谷川岳で遭難して、それぞれ若くして亡くなっている。これらは、昭和という時代の、若い人たちの象徴的な死と言えるかもしれない。そこには傑出した詩人たちにも劣らぬ生と死の生々しい様相を垣間見ることができる。 そうした人たちが残した作品に込められている、昭和という時代を懸命に生きた人たちの痛みを、作品とともにぜひ多くの人に知ってほしいと願っている。 (上毛新聞 2001年12月30日掲載) |