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郷土史家 
大塚 實
さん(箕郷町生原 )

 【略歴】1934年箕郷町生まれ。小さい農園を耕しながら自給自足の生活をして、健康の維持にも努めている。96年から日本野鳥の会会員で、探鳥会に参加している。98年から箕郷町文化財調査委員。


すみ続けられる環境を

◎鳥へのあこがれ

 日本の通貨や切手には、野鳥が多く描かれています。また紙幣には長い間、聖徳太子が描かれていました。

 聖徳太子が活躍した六世紀後半から七世紀中ごろまでを、そして政治の中心が奈良盆地南部の飛鳥地方にあった時代を、飛鳥時代と呼んでいます。飛鳥地方は飛鳥川がある明日香村付近一帯のことで、ここに聖徳太子誕生の地と言われる橘寺や、飛鳥寺の飛鳥大仏、さらに宮跡や寺跡のほか、巨大な石舞台古墳、多くの石造物などがあります。

 飛鳥地域の西北に斑鳩(いかるが)町があります。昔から斑鳩の里と言われてきましたが、ここには世界最古の木造建築物である法隆寺があります。

 法隆寺はまず参道から南大門・中門を経て、回廊の辺りから五重塔・金堂・講堂を見て、大宝蔵殿から夢殿や中宮寺などを見学した思い出を持つ人が多いと思います。夢殿の辺りは、聖徳太子が斑鳩宮をつくって住んだ所とされ、中宮寺は母親のためにつくった御殿跡で、後に斑鳩尼寺と言われ、法隆寺は別名斑鳩寺と呼ばれます。

 斑鳩は野鳥であるイカルの昔の呼び名であります。斑鳩の里は、今でも広葉樹が多く、イカルの生息に適しています。斑鳩町ではイカルを図案化して町章にしています。

 こうしてみると、遠い昔の時代から空を飛ぶ鳥にあこがれて、飛鳥や斑鳩という鳥にかかわる言葉が使われてきたことと思います。

 平安時代になると、清少納言は『枕草子』の中で、次のように述べています。

 「鶯(うぐいす)は、文などにもめでたきものにつくり、声よりはじめて、様かたちも、さばかりあてに美しき程よりは、九重のうちに鳴かずぞいとわろき。人の『さなむある』といひしをさしもあらじと思ひしに、十年ばかりさぶらひて聞きしに、まことにさらに音もせざりき。さるは竹も近く、紅梅もいとよく通ひぬべきたよりなりかし。まかでて聞けばあやしき家の、見所もなき梅などには、はなやかにぞ鳴く」と。

 御所の中は竹も紅梅もある環境であるのに、ウグイスの声を聞かないのに、普通の家の梅などでよく鳴いている。ウグイスが、より自然に近い場所を好むことを明らかにしている。さらに読んでいくと、うまく鳴かなくなった夏秋には、人々は「虫食い」と呼んでいるとして、自然の中での役割まで観察している。

 『枕草子』の中には、自然保護の原点があると思います。その中の「頭の赤き雀」は、ニュウナイスズメのことだと思いますが、簡単には探せません。

 通貨や切手にも描かれ、あこがれの野鳥が、飛鳥時代や平安時代と同様に、千年後でもすみ続けられる環境を維持しなければ、共に生きる人間も、二十一世紀さえも生存し続けることが危ぶまれます。西暦の新千年紀元年にあたり、今年の課題について考えてみました。

(上毛新聞 2001年12月11日掲載)