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県温泉旅館協同組合理事 
高橋 秀樹
さん(伊香保町伊香保)

【略歴】明治大大学院修了。県内温泉地で修業した後、83年から家業の旅館「美松館」を継ぐ。若手経営者の一人として旅館協同組合、観光協会の理事、監事を務める。01年から伊香保小PTA会長


天の配剤「温泉」に感謝

◎旅館業

 「備えあれば憂いなし」ということわざがあるが、いくら備えを万全にしても、憂いの尽きない時代になっている。というより、世の中が進歩し、行政のみならず企業や個人の情報収集能力が向上しているにもかかわらず、何に対して備えればよいのか、という点がとてもあいまいになってしまったのだと思う。現代社会が明りょうな輪郭をもっていると考えていたのは、はなはだしい誤解であって、文明自体が巨大な幻想なのかと思わせる激しさで、急激な変化や危機が一気にわれわれに迫ってくるからである。

 良くも悪くも、これが二十一世紀の素顔なのかもしれない。幸福と不幸が薄紙一枚の仕切りで隔てられたところに存在しているのが、現代に生きる人間の宿命なのだろう。

 テロや狂牛病、果ては幼児虐待、さらに恒常的な厳しい経済環境など、怒りや悲しみ、不安を伴う現象の連鎖の中で、それでも私たち日本人は、物質的には恵まれすぎるほどの豊かさに、たっぷりとつかって生きている。

 こんなことを書くと、何だか人類の大問題を論じているようで汗顔の至りだが、何も時代の病理をあげつらい、嘆息するほどのペシミストでもマゾヒストでもない。私自身が従事している旅館業を考えるうえで、お客さまが何を求めてやってくるのか、という視点から自分の商売を俯瞰(ふかん)してみたかったからである。

 人々の気分は、時代の空気と結びつく。換言すれば、時代の背景とそれにかかわる人間の欲求がどこにあるのか、何に存するのかを察知することは、あながち無駄なことでもなかろうかと感じた次第である。

 人口に膾炙(かいしゃ)されて久しいが、キーワードは「癒(いや)し」であるという。なるほどと思う。フロムは現代を「haveの時代からbeの時代へ移行する」と説いた。人間は物質的欲望に倦(う)み疲れ、自分が今どんな状態におかれているか、いわば存在状態そのものに重心が置かれつつあることを指摘したものだ。いま自分がhappyであるか否かが最大の関心事であり、意義なのである。

 先に挙げた人間の不幸は、神が下したものではなく、ほかならぬ人間自身の仕業である。一方で傷つけ合いながら、実は他方で何よりも慰めや安らぎを求めている。そして、それを自然や芸術のみならず、本能的に人間自身の温もりや優しさの中に求めないではいられないのが、私たちの本来の姿ではないだろうか。大人も子供もである。結局人の心を癒し、救うものは、人間でしかない証左なのだ(宗教ですら天然に存在するものではなく、人間の観念の所産なのだから)。

 旅館業は、縁あって初めて訪れていただいたお客さまの心をそらさず、慰め、楽しませる、実にメンタルでデリケートでナイーブな商売である。お客さまのhappyな状態が、そのまま自分たちの喜びと利益の結晶となって現れるという不思議さとありがたさ。そして、温泉という自然の恵みを与えられた私たちは、この絶妙な天の配剤に、ただただ感謝するのみである。

(上毛新聞 2001年12月6日掲載)