視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
|
|
◎声無き“羊族” わが家には「羊庵」なる表札が掲げてある。羊の住む家という意味である。私自身「羊族」の自覚があり、十年前に「イメージ羊」なるテーマ詩集も出している。 羊はおとなしい家畜で、人類の歴史とともに人間に飼われてきて、毛は衣服として、肉乳は食用として人に用いられてきた。まず従順な動物と言われる。人間に危害を与えるような暴力は持たない。 少年の日、山羊(やぎ)を飼った記憶がある。紙を食べる習性が面白かったし、対面していると人懐かしげで、どこか哲学者に似たような風貌が感じられる。 羊は従順で言挙などしない動物とされるが、私は羊にも心はあり、言うべき言葉もあると思う。例えば声無き民の声という言葉がある。今の間接民主主義制度では、政治家だけが物を言ったり、政治権力で事を運んでいればいいというものではない。弱者の立場にある声無き民の声を無視したら、暗黒の権力国家になってしまう。羊族といえども、言挙すべきなのである。そういう自覚をもって、私はあえて羊庵にすむ羊族を任じているのである。 権力者は強い。権力を悪用して利得も稼げるから、権力+金力も持つ。政官業が癒着して権力構造を築いて、一般の市民・国民の目の届かない水面下で、利得を稼ぐ。汚職が至るところに蔓延(まんえん)する。放置しておけば世は暗黒になる。 羊族には金も力もない。弱者である。しかし、弱者にだって心も正義感もある。正義とは不正や悪をゆるせない心である。いつの世も弱者は多数派であり、連帯の世論力で、権力悪などの浄化運動をやってきている。 近年、本県でも高齢者福祉行政にまつわる不正事件が相次いで、世論の批判を浴びた。どれも行政や県議会議員などの権力者が介在して、「福祉を食い物に」した。市民の目の届かない水面下で権力構造が起こした事件で、太田、沼田、高崎、富岡で現実に起こり、市民がその不正追及に立ち上がった。 市民民主主義とは、市民が権利を自覚して世直しに立ち上がることだ。近年、保守勢力が強いとされた長野県、栃木県、千葉県で、政権政党の支持を受けない、市民派の知事が誕生して、市民パワーの力を見せた。羊族の可能性と言えよう。 弱肉強食はいけない。市民巻き添えのテロはもちろん不可だが、超強国のアメリカが弱小最貧国アフガンに報復戦争を仕掛けている。テロの再生産の愚だと思う。まず話し合い、国際法にのっとって、最貧国がテロに走らざるを得ない原因を、日米はじめ先進国は埋める努力をする必要がある。「天は人の上に人をつくらず」の民主主義の鉄則がある。貧しい国は羊族の国であり、人は皆平等に生きる権利を持つ。 二十世紀は戦争の世紀であったが、二十一世紀もまた、テロの報復合戦の悲惨な世紀になる。それを条理に合った、平和で民主主義の生きる世紀にするには、声無き羊族、市民が言挙、行動する以外に道はない。 (上毛新聞 2001年11月28日掲載) |