視点 オピニオン21
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対照言語学者・ブリッジポート大学客員教授 
須藤 宜
さん(高崎市上中居町)

【略歴】群馬大卒。東京教育大研究科、ユニオン大、立教大大学院をそれぞれ修了。教育学博士。大学教授を26年間務め、現在米国の大学の客員教授、2大学で講師。著書15冊、共著3冊、論文28編。


文章表現教育に重点を

◎大学の主要な使命

 この間、こういう話を耳にした。ある大学の後援会で、卒業予定者数人に会報の原稿を依頼したところ、一人も寄稿しなかった、という。当然原稿が集まると思っていた後援会役員の怒りに近い不満顔が目に浮かぶ。

 しかし考えてみると、いまの日本では、文章表現の教育自体が抜け落ちている。一体どれほどの高校生が卒業までに自己の体験や主張、書物の批評など書いたことがあるだろうか。さらに大学での文章創作活動も大変寂しい現状である。文部科学省は、教育課程の改訂のたびに、文章表現の向上を重点項目の一つとして挙げている。しかし、学力試験などでは、表面的な記憶再生型の知識を測るものが多く、記述式は極めて少ない。解答を選択肢から選ぶだけでは、深くものごとを考えなくなり、文章表現力も育ちにくい。

 近代文明は、人が自らモノを作る機会を奪ってきた。あらゆる面で便利になり、人々は骨の折れることを回避するようになった。また感覚に訴える映像は、多様な情報を与えてくれるが、イメージに流されやすい(情報は、知識より断片的なものについての認識を指している)。映像では、想像力や筋道立てて考える思考力は育たず、「書く」障害になる。想像力を養うには、活字を見てその奧にあるものを読み取り、頭の中にスクリーンを写し出さねばならない。

 大学では、学生が自ら考え、書く指導こそ必須で、私は四半世紀ほど文章表現の指導に力を注いできた。そして「教養演習」と「ブックリポート実施委員会」を設置した。「演習」は二年生の必須科目とし、「リポート」は全学の学生に作成を呼びかけた。

 「演習」では、知識や情報を皮相的に受け入れるのではなく、自ら考え、合理的に判断し、自己の言葉で表現する場を提供した。例えば、工場が人手を確保するために設備をよくし「快適工場」を建てた、という提示文を見せて「あなたの期待する『快適大学』について」述べさせた。これについて、工場と大学を対比し「大学は人をつくるところであり、快適の第一条件は、学生の意欲と知的好奇心を満たしてくれる教授陣にある」まで考えを深めて欲しかった。しかし、八六%の学生は、設備面だけの快適さを挙げていた。さらに残念なことに、GPA(評価平均)が二・六(三が満点)の学生もこの中に含まれていた。

 「ブックリポート」は、書物を通して思考し、自分の考えを練って論述するものである。この二十年間、全学のコンクールを開いたが、年々応募者が減り、中止されたと聞いている。

 先の会報に学生の寄稿がなかったのは、文字を柱にして想像力、思考力や表現力を育てなかった指導に一因がある。一字一字を追う読書、一字一句を選んで書く文章表現にいそしむ気構えこそ、現代の教育で望まれるべきだ。問題意識をもって対象を深め、自己の主張を合理的に論述する訓練が、大学の主要な使命であると考える。

(上毛新聞 2001年11月25日掲載)