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◎ムカつく 拝啓 これを読んでいる中学生の諸君へ。 爆弾テロで、わずか一時間のあいだに、コンクリートの巨大な山になってしまった国際貿易センタービル。そのビルの足元に立って見上げたことがある。上の方が、雲の中に隠れていた(雨がふりそうだったんだ)。一九八一年八月のこと、山田は中学三年生だった。 言いたいこと、その一。人は完全にわかりあうことはない。よく「ムカつく」という言葉を聞く。「ムカつき」やすい人が増えたような気がするなぁ、この二十年。じゃあ、何に対してムカついているかって聞いてみると、「親」「先生」「友人」なんて答えが返ってくるんだ。そのたびに思う。「ムカつく」っていうのは、「わかってほしい」という感情と同じなんじゃないかなぁって。 山田はこう思う。「人と人が完全に理解しあうことはない」。なぜって? それは、この世の中に全く同じ人は一人としていないから、である。人と違うのが当たり前なんだ。「わかってくれない」って頭に来る前に、「わかりあえないのが当然」と思うと、あまりムカつかない。それに、自分が相手のことをわかってないことが多いと思うよ、ムカついてる時って。 いいたいこと、その二。わかりあえないからわかりあいたい。「わかりあえないのが当然」と思っていても、やっぱりわかってほしいって思うこと、ケッコウあるよね。だから、伝えたい。感じたい。人が音楽や絵画や数学やおしゃれや、とにかく人から人に情報を発したり、受け取ったりするのは、そうやって「わかりあいたいんだ」と思っているからなんじゃないかな。 だれかに頼まれたわけじゃない。ただ自分の気持ちがそうさせる。自分の感情がそう命令する。それを少しずつうまく表現したいと思って二十年過ごしてきたような気がする。 いいたいこと、その三。自分であることは孤独、それが自分。人はわかりあえない。それは同じ人がいないから。自分が自分らしくいようとすると、ますます孤独な感じがする。それがいやだから、自分が自分であることをやめて、「だれか」のなかに溶け込む。それでいいのか? 「戦争」だという。「正義」だという。私たちは、かってにイイヤツ・ワルイヤツを決めている。本当なのか? 自分の頭で考え、自分の感情をうまく表現するために、人は「勉強」するんだと思う。勉強っていっても、別に教科書があるわけじゃない。それは、おうちの人との会話からも、空爆におののく子供たちの写真からも、学ぶことができるんじゃないかと思う。要は「無関心でいないこと」だ。 テレビの画面の中、秋晴れの空を残して壊れていくビルをみながら、この二十年を振り返った。そして、今の中学生のみんな、そしてあの時の自分に、今の考え方を報告したくなった。そして、この文を書いたんだ。 (上毛新聞 2001年11月22日掲載) |