視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
|
|
◎森や山の思い出 命をかけて群れを守っている生きものたちに比べると、私たち人間は惰性でしか貢献していないのではないでしょうか。 「兎(うさぎ)追いし、かの山」私たちは自然をとても大切にしています。辞書を見ても、自然とは、「元のまま」とか「正常である」とかで、あるべき姿を言うのでしょう。自然でないことは不健康なことで、そのままにしておけば滅びてしまう状態のことです。 自然界を観察してみましょう。 (1)生き生きしている(2)清らかで美しく健康である(3)癒(いや)す力がある(4)一匹一匹がバランスよく役割を持って生きている―などが挙げられます。 アリやハチなど、それぞれが、グループをつくって存続を図っています。生きものは一匹一匹が、信仰にあつい人のように、使命感を持って自分の群れを守り、その種族の永続を図っているのです。これこそが自然なのではないでしょうか。 この群れの形態は、人間にとっては国家です。社会を健全にしたかったら、私たちも自らこの永続を図らなければならないでしょう。ところで、自然界はいまだにボス社会のままですが、今日の人間は統括者や神への尊敬と服従を、集団を維持する手立てにしなくなった代わりに、一人一人がボスに代わって世の中を支えなければならないのです。 自由や権利を大切にしたいならば、なおさらでしょう。この気持ちが今私たち日本人にどれほどあるでしょうか。育てられてこなかったように思うのです。これが公教育の最大の目的であることを、忘れてきてはいないでしょうか。 私たちは一人一人が国や人類のために役立つことを、おいしいケーキを食べることと同じように好きにならないと、民主主義の社会は危険な状態になりかねません。 ここで、「君が代」を考えましょう。近代になって人間は世界的に群れの単位を部族や藩から国家に移しました。それまでは優れたものをボスにし、この集団を維持するためにリーダーシップを取らせてきたのです。この意味から「君」とは子孫を繁栄させ、人類を永続させるもののことなのです。それゆえ、民主国家になってからは、民衆が「君」であり、わが国では天皇がその象徴なのです。 二十一世紀は歴史的に人間が存亡をかける時代です。人間は進化とともに自我に目覚め、この自覚は他の動物よりはるかに高く、昔の人間と比べても別人のようです。とうてい昔の人間に戻ることはできないでしょう。だとすると、民主主義社会を形成した私たち人間は、これからどのようにしたらよいかを自然に学ばなければなりません。自然崇拝も片手落ちでお題目だけになってしまっては、何の意味もないでしょう。 (上毛新聞 2001年11月19日掲載) |