天然酵母ってなに?
 しばしば「天然酵母のパン」という宣伝を目にします。「イースト菌やイーストフードをいっさい使っていません」とあります。しかし、酵母は英語でイースト(yeast)です。酵母(イースト)を使っていないけれど、“天然酵母”を使っている、とはいったい何のことか、わけが分かりません。それに、生き物である酵母に「天然」や「人工」があるのでしょうか。
 不思議に思い、メーカーに問い合わせたり、パンづくりの本を調べてみました。その結果、「酵母」と「イースト」を区別している人々がいるらしいこと、“天然酵母”の実態はとてもあいまいであることがわかりました。
 酵母は球形または卵形をした単細胞生物で、生物分類学上はカビやキノコと同じ菌類(fungi)に属し、出芽によって増殖します。アルコール発酵を行う酵母は、糖を分解しエチルアルコールと炭酸ガスを生成しますが、この作用はパンだけでなく、清酒、ビール、ワインなどの製造にも重要です。
 穀類や果実、野菜など、自然界のあらゆるところに酵母は生息しています。ブドウの圧搾果汁はそのままおくと、やがてアルコール発酵し、ワインとなりますが、ブドウの皮に付着している酵母の作用によるものです。
 “天然酵母”と呼ばれているものは、野菜や果実、穀物に付着している雑多な酵母や細菌を、その食品自体を栄養源として培養したものを指しているようです。身の回りに存在する酵母や各種の細菌を複合培養し、パン種とするもので、「発酵種」に相当するようです。
 このパン種には酵母だけではなく乳酸菌や酢酸菌も混在しているのですから、“天然酵母”という表現は正確さに欠けます。由来食品の名前をとり、「レーズン発酵種」「小麦発酵種」、あるいは複数の食品から分離培養したものであればたとえば「果物・野菜発酵種」という言葉のほうが実質を表すのではないでしょうか。
市販のパンにはおいしいものもまずいものもありますが、使用原材料の良否やその配合比、作り方など、いろいろな要素が複雑に絡み合った結果です。発酵食品であるパンの味に酵母をはじめとする各種微生物が関与することはもちろんですが、“天然酵母”で作ったからおいしい、純粋培養酵母で作ったからまずいという単純なものではありません。小麦粉と酵母が醸し出す基本的な風味に欠けるパンを作るメーカーには改善をお願いしたいと思いますが、“天然酵母”ならいい、ということではないでしょう。
 酵母や細菌など複数種類の微生物が作り出すいわゆる“天然酵母パン”の味わいは尊重したいですし、発酵食品の特質を存分に生かしたパンが提供されることは嬉しいことです。しかし、「天然」「自然」というキャッチフレーズに動じやすい消費者の、健康志向に便乗する形で“天然酵母”を強調することには疑問を感じます。従来品とはひと味違うことを強調する姿勢で「発酵種で作ったパン」を宣伝してほしいと思います。
 生き物である酵母は人工的に作り出せるものではありません。“化学イースト”“人工酵母”などという、誤った言葉を用いて“天然酵母”のよさを主張することは、消費者を混乱させるばかりだと思います。
1999年1月